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「主戦場」訴訟第1回口頭弁論報告(3)

原告 藤岡信勝が読み上げた意見書

 (1)私は、約40年間、北海道教育大学、東京大学、拓殖大学に奉職し、研究と教育に携わって来た者です。専攻は教育学です。現在は一切の職を退いております。

 (2)日本で慰安婦問題がテレビを含めメディアで広く取り上げられるようになったのは、1991年の12月でした。

 当時、私は文部省派遣の在外研究員としてアメリカにおりましたが1992年8月に帰国してからこの問題を調べました。

 すると、秦郁彦という歴史学者が、奴隷狩りが行われたという韓国の済州島で現地調査をしたところ、誰一人そんなことは見たことも聞いたこともないと言っていたことを知りました。

 また、西岡力という韓国研究者は、元慰安婦の女性からの聞き取り調査などによって、日本の官憲による強制連行を矛盾無く証言した者はただの一人もいないことを突き止めました。

 慰安婦問題とは、日本から補償金を取るためと、日本人が悪逆非道であると世界に印象づけることに利益を感じる勢力によって、日本叩きの目的で捏造された問題であることがわかりました。

 今では、日本国内の慰安婦論争は決着がつきました。

 (3)2016年9月9日、私は上智大学大学院生・出崎幹根のインタビューを受けました。

 この件に関して二つの論点があります。
 
 第一は、インタビューの目的が学術研究だったことです。

 私がインタビューに応じた最大の理由は、目的が「学術研究」であったからです。

 被告・出崎は、「卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは『歴史認識の国際化』をテーマとしています」と書いていました。

 私も大学で学生の卒業論文や修士論文を指導していた時には、学外の多くの方々にお世話になりました。

 学問研究の世界は一種の共同体で、特に学生の研究にはお互いに協力してやらねばならない、という規範があります。

 私は被告・出崎に何の疑念を持ちませんでしたが、ただ一度だけ、強い不審の念をいだいた瞬間があります。

 それは、ビデオ撮影が終わって、被告・出崎から承諾書にサインしてほしいと切り出された時です。

 こちらは善意で協力しているのになんで承諾書が必要なのか、と腹立たしい思いをしたのです。

 「そういう文書にサインするのは私の趣味に合わない」と言ってサインを拒否し、出崎らを追い返しました。
 
 ところが、『ニューズウィーク日本版』6月25日号の朴順梨のレポートでデザキは、承諾書・合意書には「学術プロジェクトとは一切書かれていない」とシラを切りました。

 これは詐欺的行為の自白に等しいものです。

 アプローチの段階では、学術研究であるとして商業映画であることを徹底的に隠蔽し、映画を公開するときは、それが大学院の卒業制作であることをあくまで否定する。

 これはデザキの企画が初めから協力者をペテンにかけて騙すために、巧妙に仕掛けたものだったことを疑問の余地なく示しています。

 (4)第二の論点は、私に無断で商業映画に映像・音声を使用することは「合意書」違反であるということです。

 指導教官・中野晃一教授から私のサインを貰わなければ研究を始めることはできないと言われた被告・出崎は、藤木俊一氏と交わした「合意書」を送ってきて、これで何とかサインしてほしいと懇願しました。

 藤木氏の書き直した「合意書」は、取材される側の権利も書かれていました。

 それで私は妥協して、合意書にサインしました。

 出崎の行為は合意書の5・6・8項に違反しますが、ここでは、8項のみ問題にしてみます。

 8項には、「甲[デザキ]は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」と書かれています。

 私は、被告・出崎の「卒業制作」には協力しましたが、商業映画に使用してよいという許可を与えたことは一切ありません。

 私の許可なく、無断で、私のインタビュー映像等を自分の商業映画に使ったデザキは、「他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という合意書の禁止規定に明白に違反しています。
 
 (5)学術研究は人を傷つけるためにあるものではありません。

 まして、学術研究を騙って善意の協力者を騙すこのような行為は決して許されるものではありません。

 映画の上映地域の拡大に比例して、私の精神的苦痛、人権侵害の被害は増大しています。

 裁判所の賢明なご判断が得られますことを信じております。

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