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ローマ教皇への感謝と嘆願の手紙

フランシスコ教皇様

2019年11月20日

 教皇様の日本への歴史的なご訪問を、深い思いを込めてお迎え申し上げます。

 1981年に実現したヨハネ・パウロⅡ世のご来日は日本国民に深い感銘を与えました。教皇様が広島と長崎をご訪問になり、昭和天皇にもお会いになられたことを、私たち日本国民は喜びと感謝の念とともに記憶しております。

1 焼き場に立つ少年の写真に託された平和のメッセージ

 私はフランシスコ教皇様のこの度の日本訪問を、特別の思いをもって歓迎します。

 昨年、2018年の元日、日本人にとっては新年の特別な日であるその日、教皇様は、長崎の原爆の被災直後に米兵によって撮られた一枚の写真を、カトリック信徒が世界に広めるよう指示されました。

 その写真とは、すでに息絶えた幼い弟を背に焼き場に立つひとりの少年の姿でした。悲しみをこらえ、血が出るほどにきつく唇を噛んだこの少年の姿のりりしさ、極限状況の中でも家族としての責任を果たそうとするそのけなげな決意には、戦争による唯一の被爆国民である日本人の魂にふれるものがありました。

 あの原爆投下から既に74年、日本は国を挙げてその苦しみに耐え、かつての敵味方の対立を超えて世界平和を希求して参りました。前を見据える少年の姿には、今も地球上の各地で、困難とたたかい、混迷の時代を乗りきろうとする人々の心とつながるものがあります。

 この写真に着目し、写真を広めるよう指示された教皇様の慈しみの心と平和への祈りに私たちは共感し、日本国民として深甚なる敬意と謝意を表します。私も教育者の一人として、教皇様の思いを受けとめ、この写真の意味を若い世代に伝える決意であります。この度の教皇様の御来日は、平和への道の新たな一ページとして記憶されることでありましょう。

2 上智大学への日本国民の信頼

 バチカンと日本とを結ぶ特別の位置にある日本の大学に、上智大学があります。

 上智大学はカトリック精神を建学の礎として1913年に創立され、伝統と実績を誇る日本でも有数の大学です。「上智」とは神の叡智を意味する言葉です。上智大学はバチカンの指導と多くの教授陣の努力によって着実に実績をあげ、多数の有為な人材を日本と世界に送り出してきました。

 そうなることを予見されたからこそ、38年前、ヨハネ・パウロⅡ世は特別に上智大学への訪問を希望され、講話をなさったのでありましょう。

 上智大学の歴史を振り返ってみますと、その歩みは、日本国民の関心事とも深く触れあうものがあります。

 1932年、60人の上智大学の学生が靖国神社に参拝した折り、二人の学生が信仰の自由を理由に参拝を拒否する出来事がありました。その時、上智大学は文部省に問い合わせた上で、靖国参拝は愛国の心を表すものであり、信仰の自由を侵すものではないとの立場を示し、信仰の自由を守りました。これはのちの「祖国に対する信者のつとめ」というバチカンの指針にも適ったものでした。

 日本の敗戦後、日本を一時占領・統治した連合国軍総司令部の中には、靖国神社を焼却し、競馬場とする案がありました。それを巡って総司令部のなかでも賛否両論がおこりました。

 最高司令官のマッカーサー元帥は、上智学院院長で駐日ローマ教皇庁代表のブルーノ・ビッテル神父に意見を求めました。神父は「いかなる国家も、その国家のために殉じた戦士に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と述べて、靖国神社を焼却処分する案に猛烈に反対したといわれています。

 日本国民に広く信じられているこのエピソードは、上智大学に対する日本国民の信頼の一つの源泉となっております。

 ベトナム戦争が始まると、難民の支援を世界にさきがけて実行したのが、当時の上智大学学長ヨゼフ・ピタウ神父でした。ピタウ神父は後にローマに呼び戻され、教育省次官などをお勤めになられたことは、日本でも知られております。神父は日本を愛し、75歳でバチカンを去られたあとは、日本に戻り帰天されました。

 1968年、大学紛争が世界中に吹き荒れました。日本の大学も、そして上智大学もその埒外にはありませんでした。各大学が紛争の解決に困り抜いていた中で、上智大学は半年間大学を封鎖し、紛争を鎮静化させました。これは大学の存亡を懸けた英断であり、「上智方式」と名づけられて、日本における大学紛争解決の先例となりました。

3 上智大学へのご教導のお願い

 このように、歴史の節々で叡智を示し、日本国民に敬愛されてきた上智大学ですが、他ならぬその上智大学に、今、暗い影が差していることを、残念ながらお耳にお届けしなければなりません。

 最近、大学院生の修士論文の盗作が発覚し、論文合格の撤回と学位の剥奪がおこなわれました。学生センター長は不適切発言で辞任しました。懲戒解雇された教員もいます。これらは学長の「お知らせ」として社会に公表されております。それに加えて、真理探究の府である大学として、あってはならない研究不正が、ごく最近起こりました。私はその被害者の一人です。

 3年前、中野晃一教授の指導の下、アメリカからの留学生である上智大学院生が「修士課程の卒業制作としてドキュメンタリー映画をつくる」と称して、日本政府の見解を支持する立場の言論人や学者約十人にインタビューを申し込みました。

 その依頼状の中で、大学院生は、これは「学術研究」であるから「偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」と約束し、「大学院生として、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります」とまで明言していました。インタビューの目的については、「公正性かつ中立性を守りながら」制作し、「卒業プロジェクトとして大学に提出する予定」であると書いていました。

 インタビューを受けた人々は、全員がその大学院生の言葉を信じました。ある著名な女性ジャーナリストは、わざわざその院生にメールを送り、「頑張って下さいね」と優しい励ましの言葉さえかけていたのです。全員が、カトリック精神を建学の礎とした上智大学を尊敬し、信頼していたからです。

 しかし、大学院生がメールや口頭で述べた右の様々な言葉は、実は、制作者が敵視する論者たちをインタビューに引き出すための奸計でした。出来上がった映画は学術研究とは似ても似つかぬ、一方的なプロパガンダ映画でした。

 その教授・院生と対立する立場の論者は、一方的に悪のレッテルを貼られ、発言を切り取られ、反論の機会を与えられずに批判され、人格を貶められ、嘲笑されました。

 このような詐欺映画が、「学術研究」という甘言と、「上智大学」という大学の信用を背景に制作されました。しかも、インタビューを受けた人々に無断で、商業映画として一般の映画館で上映される状況に至りました。この映画で攻撃されている被害者の中には、上智大学の卒業生である女性も含まれています。映画は現在も日本国内のみならず国外でも上映され続けております。

 自由な社会では、政治的主張はいろいろあってよいし、どんな映画をつくるのも、公序良俗に反しない限りは許されます。問題はどの政治的主張が正しいかどうかではありません。学術の世界では、研究に協力してくれた人を人格的に貶めたり、傷つけたりしてはならないという厳然たる倫理規範があります。研究者はこれを厳格に守る義務があります。多くの人々が多少の犠牲を払ってでも大学の研究に進んで協力するのは、学問は人を生かし、人類の文化を向上させるものであって、他者をいわれなく中傷するものではない、という信頼があるからです。

 上記の教授のように、この信頼を裏切る行為をし、それでもその責任が問われないとしたら、大学の研究といえども危険すぎて、研究に協力する人など誰一人としていなくなるでしょう。そうした事態は、学問存立の基盤の崩壊を意味します。だから、学問の存続のためにこそ研究協力者の名誉と人権は守られなければならないのです。

 上智大学がこのような不当な計略の場になったことは、真面目な教職員や学生、卒業生をいたく悲しませています。こうした詐術というべき計略を是とする行動の背景には、政治的目的の為にはどんな手段も正当化されるという、過酷な宗教弾圧をしてきた共産主義と同根の、独善の思想があります。

 教皇様におかれましては、上智大学のために、「普遍の真理」を意味するカトリック精神のために、そして日本の学術研究のために、上智大学の現状を調査され、適切にご教導下さるようお願いいたします。上智大学が清々しい学びの場として甦るよう、ぜひお力をお与え下さい。詐術に遭った一人として、心から懇請する次第です。

 教皇様の旅路の平安と豊穣を念じつつ。

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