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慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口 (3)

月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

衣の下の鎧が見えた

 出崎の完璧と見えた作戦も、ほころびを見せた瞬間があった。それはインタビューの収録が終わってから、彼がインタビューの内容に関する権利関係について承諾書を用意して来たのでサインしてほしい、と切り出した時だ。〈今のインタビューは大学院の卒業制作のためであると言ったではないか。こいつは何を言い出すのか〉と藤岡は思った。

 藤岡がこのような反応をしたことには伏線があった。それより半年くらい前、ある外国のテレビ局の取材を受けた際に、契約書にサインを求められたのだが、その契約書の中味を見ると、取材者の権利だけを書き込んで、取材される側の権利には何も言及しない「やらずぶったくり」の内容であった。

 契約とは当事者の双方を縛るものであるはずだ。片方の権利だけを一方的に書いた契約書など、契約の名に値しない。そこで、藤岡は取材は受けたが、署名は拒否した。テレビ局というのは誠に傲慢で得手勝手なものである。結局、放送では藤岡の発言は全てボツにされ、別の人物が「軍国主義者」の「悪役」を演じさせられていた。

 そんな経験があったので、藤岡は出崎が承諾書を取り出す前に、出崎に対して「そういう類いの契約書にサインすることは私の趣味に合わない」と言って署名を拒否し、チームを追い返した。だから藤岡は、出崎が用意した承諾書なるものの中味を見ていない。

 この承諾書の一件は、あとから考えると、衣の下から鎧が透けて見えたようなものである。にもかかわらず、藤岡はその疑念を突きつめることなく、契約社会のアメリカかぶれの青年だから、欧米のテレビ局の悪しき慣習を模倣したのだろう、というくらいに考えていた。それほど、真面目な学生になり切った出崎の演技がうまかったということでもある。

 しかし今では、初めから商業映画をつくって日本の保守派を侮辱し、攻撃しようとした出崎の意図が明白になっている。おそらく、藤岡にサインを拒否されて出崎は計画が頓挫しかねず、大いに困惑したのだろう。取材日の三日後に、次のメールを藤岡に寄越した。以下は原文のままであり、[  ] 内は藤岡による最小限の訂正ないし補足である。

出崎から藤岡へ(2016.9.12

 《ドキュメンタリー承諾書の件ですが、私たちの指導教官と話しましたところ、藤岡先生の出演部分がドキュメンタリーを[の][中]核を占めるのであれば(そうなると思います)、やはり承諾書へのサインがなしには、ドキュメンタリーの製作へ着手することが難[し]いという(ルビ=ママ)言われました。

 ご提案させて頂きたいのですが承諾書に、以下の一文を加えるのはいかがでしょうか?「製作者は、出演者の姿・声の整合性を保ち、出演者の言葉を謝(ルビ=ママ)り伝える、あるいは、文脈から離れて使用することがないと、同意する」

 また、映画をご覧になって、ご自身が不正確に描写されているとお感じになった場合は、ドキュメンタリーの最後に先生が、本ドキュメンタリーにおける説明に異を唱えていらっしゃると付け加えます。しかし、藤岡先生の出演箇所を全て削除することは、新しいドキュメンタリーを製作しなければならず、修士を期限までに修了するためには、再製作は難しいことをご理解いただきたく存じます。》

慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口 (2) 修士の終了期限に間に合わなくなる、という泣き落とし作戦である。最初のメールに比べると、文章の推敲が不十分で、誤字と文法的な間違いだらけだ。よほど急いで書いたのだろう。今から考えると、ここで「指導教官」という言葉が登場するのは注目に値する。出崎は「指導教官」の指導を絶えず受けながら卒業制作と称する作業に励んでいたのである。だとすれば、出崎の詐欺的行為に「指導教官」も最初からかんでいたことになる。  このメールを受け取ったとき、藤岡は〈出崎の「提案」なるものはあまりに微温的で、取材対象者の権利を守るための役には立たない〉と思った。藤岡はすぐに返答せずに、「十三日から十九日まで、ジュネーブとパリに行ってきます。帰国後、相談しましょう」と返答した(九月十三日)。

(続く)

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